富 久 寄 席 と は  


「富久寄席」は、「与多朗の会」の活動の中心となっている寄席です。

平成5年の創立以来、毎年6月と11月の年2回開催しております。
なお、いらっしゃるお客様が多いため、それぞれの寄席を2回づつ(前寄席・後寄席)開催しています。
会員は、この寄席に向けて日々練習を積み重ねています。

富久寄席は、本当にフレンドリーな寄席です。
客席と高座が一体となったこの雰囲気は、まさに寄席の原点ではないでしょうか。
今年の富久寄席日程は、上記メニューバーの「今年の寄席スケジュール」をクリックしてください。 なお、会場になっている「鮨 富久」は、会員の夢家道楽さんのお鮨屋さんです。

富久寄席は、落語を愛する人なら誰でも聞きに来れます。来場希望の方は、連絡先の下記「鮨 富久」へ電話をするか、問い合わせメール(下記)をお願いします。

 「鮨 富久」の場所

鮨 富久」は、静岡浅間神社の前にあります。
江戸前の鮨を追究するご主人と、しっかり者の奥さんが居る、 とても美味しい鮨屋です。

住所:静岡市葵区西草深町23の4
電話:054-246-4210 FAX:054-245-8538

問合せメール:
        

 富久寄席の過去の演目 (あらすじとうんちく)  

第53回 富久寄席
令和元年10月27日(日)・11月2日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

転失気
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 ある寺の住職が、下腹が張って医者を呼んだ時「てんしきはありますか?」と聞かれ、 解らないとは言えなくて思わず「ありません」と答えてしまった。 困った住職は、小僧の珍念に「先生のところに薬を取りに行った時に、自分が知らないふりをして聞いてこい」と言いつける。 医者に聞くと、「『てんしき』というのは傷寒論の中にある。転び失う気と書いて転失気だ。オナラのことだよ」と言われる。 住職も知らなかったんだと気づいた小僧は、いたずらを考えるが・・・・・・・
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厩火事
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 年下で遊び人の八五郎を亭主に持った髪結いのお崎が、旦那の所に夫婦げんかの相談に行く。
そこで旦那は、八五郎の了見を試してみろと、お崎に二つの噺を聞かせる。唐(モロコシ)の国の孔子という偉い学者の話と 妻より皿を大切にする、麹町のさる殿様の話。・・・・
「けがは、無かったか」「まあ、うれしい。猿じゃなくて、モロコシだよ」というところが面白い。
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三方一両損
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 長屋に住む左官の金太郎。ある日、柳原の土手で、大工・吉五郎名義の書きつけと印形、三両入った財布を拾ったので、 早速家を訪ねて届けてやる。 ところが、偏屈で宵越しの金を持たない主義の吉五郎、印形と書きつけはもらっておくが、 オレを嫌って勝手におさらばした金なんぞ、もうオレの物じゃねえから受けとるわけにはいかねえ、 そのまま持って帰れと言い張って聞かない。 親切心で届けてやったのを逆にすごむ始末なので、金太郎もカチンときて、大喧嘩になる。・・・・・。
 文化年間に、講談の「大岡政談もの」の一部が落語に脚色された噺である。
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居残り佐平次
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 初代春風亭柳枝(りゅうし)の作といわれる廓噺(くるわばなし)の一つ。 品川の遊郭で、小悪党の佐平次という男が友達と遊びにきたが、金がなくて1人で居残ることとなる。 彼は接客が上手でおもしろいので客の評判になり、「いのどん」とよばれて人気者になってしまう。 それでは店のほうで困るので、店の主人が、帰ってくれと頼む。 佐平次は、実は自分は悪人で追われる身だからといって高飛びの費用と着物をせしめて店を出る。 店の若い衆がついて行くと、居残り商売の佐平次だと名のる。 その報告を聞いた主人「そうかい、ちくしょう、どこまであたしをおこわにかける(だます)のだろう」 「へへ、あなたの頭がごま塩でございます」。 ・・・・




第52回 富久寄席
令和元年5月19日(日)・5月25日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

ぜんざい公社
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 男が「ぜんざい公社」のチラシを見てぜんざいを食べたくなり、行ってみることにします。 窓口を回り、ぜんざいを食べるために住所、年齢、職業などを記入した書類を作らされますが、それだけではありません。 健康診断書を作るために診察を受け、お餅を使用するための認可証、お餅を焼くための火気使用許可証が必要です。 ビルを上がったり下がったり、窓口をたらい回しにされた揚げ句、ぜんざい代二千円を要求されます。 「もういやだっ」と断ると詐欺罪になると脅されます。渋々お金を払って食券をもらいます。 食べるためには「別館」に行けといわれますが、なんとこの「別館」にたどりつくには東海道新幹線に乗らなければなりません。 ・・・。



猫の災難
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 隣の女将さんから 猫の病気見舞いの鯛の残り物を貰った熊さん。  そこへ兄貴分がやってきて、その立派な鯛で一杯やろうと言い出す。  今更胴の部分は無いとは言えず、猫に盗られたことにする。 買ってきた酒を置いて、 代わりの鯛を兄ィが買いに行っている間に すっかり酒を飲んでしまった熊さん。 またまた猫に罪をなすりつける ・・・・
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たがや
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 川開きの花火でごった返す両国橋。そこへ強引に割ってはいる武家の一行。 たまたま帰り道を急いだ”たがや”が人波に押されて前に出てしまい つまずいて、持っていた青竹のたがが外れてお武家の陣笠に当たってしまった。 すわ、無礼打ち!となるところを女神がほほえんだ。チャンスがチャンスを呼び ”たがや”一世一代の大立ち回りとなる。・・・・・・
 なお、道楽さんは前寄席では「老婆の休日」を演じておりました。

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かぼちゃ屋
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 二十歳になった与太郎、おじさんから「遊んでいるならかぼちゃでも売ってみろ」と言われ 天秤を担いで一回りすることになった。「作る奴がいて買う奴がいるから間に入って 売らなきゃなんねえ」と愚痴りながら路地裏に足を向けた。トンチンカンなことをしたり 言ったりしながらも『かぼちゃ』は売れたが、元値で売ってしまったので儲けがない。 おじさんは頭が痛い。与太郎は再び『かぼちゃ』を売りにしぶしぶ出掛けて行く。・・・・・・

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ねずみ
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

 左甚五郎がフラ~と旅に出た先で、貧乏宿の坊やの客引きにほだされて、一泊 することになった。実はこの宿の主、元は向かいの虎屋の主だった。 訳を聞くと女房に先立たれた後、後妻と奉公人に裏切られ、とうとう乗っ取ら れてしまったという。 ひどい話に一肌脱ぐことになった甚五郎。・・・。


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第51回 富久寄席
平成30年11月11日(日)・11月17日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

疝気の虫
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 ある医者が妙な夢を見る。おかしな虫がいるので、火箸でつぶそうとすると、虫は命乞いをして 「自分は疝気の虫といい、人の中で暴れ、筋を引っ張って苦しめるのを職業にしているが、 蕎麦が大好物で、苦手なものはトウガラシ。」と告白する。 そこで目が覚めると、これはいいことを聞いたと、張り切って往診に行く。 たまたま亭主が疝気で苦しんでいたので、 先生、この時とばかり、そばを5枚あつらえさせ、 亭主にその匂いをかがせながら、かみさんにたべてもらう。 疝気の虫は蕎麦の匂いがするので、すぐ亭主からかみさんの体に乗り移り、 腹の中で大暴れするので、今度はかみさんの方が七転八倒。 先生、ここぞとばかり、用意させたトウガラシ水をかみさんに飲ませると、仰天した虫は急いで逃げ込もうと その場所に向かって一目散に腹を下る。 「別荘はどこだ、別荘……あれ、ないよ」・・・。



穴どろ
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 3円の金策に歩き回っていた男が、入り込んだ家の穴蔵へ落ちてしまう。 それに気付いた主人が、町内の頭に「泥棒を掴まえてくれ」と頼む。 ところが、この頭肝っ玉が小さくて、なかなか穴の中へ降りていけない。 さて、どうなりますか ・・・・



明烏
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 鼠が囓ったら歯がこぼれそうな程堅い、日向屋の一人息子。 行く末を案じた父親が町内の若い衆に頼んで一晩連れ出してもらうことに。
「浅草の観音様の裏手にあるお稲荷様に行こうと」誘い出し、だましだまし何とか遊郭の座敷に引っ張り込んだ。 ようやく気がついた若旦那、泣くのわめくの手が焼ける。 ところが花魁としっぽりとなり、今度は帰るのを渋り手が焼ける。・・・・・・・
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味噌蔵
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 味噌屋のケチ兵衛。親類のすすめで嫁を貰ったが掛かりが心配。 子供なんてできたら大変と思っていたらできちゃった。 嫁を身二つになるまで里に預けることに。 出産祝いに里に呼ばれた留守の間に店の者達はこれ幸いに呑めや唄えの大騒ぎ、 早々に帰ってきたケチ兵衛が小言を言っていたら田楽が届いた。 味噌の芳ばしい匂いに味噌蔵に火が入ったと勘違い。・・・・・・・・

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芝浜
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

 酒を飲んでは仕事を怠けてばかりいる魚屋が、浜で大金の入った財布を拾ったからさあ大変。 友人呼んで飲めや飲めやのドンチャン騒ぎ、ところが金を拾ったのは夢だと女房に言われ、 我に返って賢明に働くこと三年、大晦日の晩に女房があの日の大金を出してきて訳を話してくれた。 「一杯やっておくれ」と言う女房に「夢になるといけねえ」と返す。・・・。


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第50回 富久寄席
平成30年5月20日(日)・5月26日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

親の顔
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 八五郎の息子の金太が、学校のテストで100点満点中5点という成績をとってきた。
 学校の先生から呼び出しがあり、教師・親・金太の三人による三者面談が始まった。 金太になぜこんな回答をしたのかと八五郎が聞くと、もっともな珍回答が返ってきて、その度に八五郎は納得してしまい・・・。



時うどん
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 「時うどん」は、「時そば」のうどん版の事です。三代目の柳屋小さん師匠が上方から「時うどん」を持ち込む際に 江戸の文化に合わせてうどんを蕎麦に変えたと言われております。
 あらすじは、二人の男が15文しかないのに、16文のうどんを食べることを企むお噺です。・・・・
 舟楽さんの軽妙な関西弁がこのお噺を盛り上げています。




蔵前駕籠
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 江戸末期、維新の騒ぎで世情が混乱を極め、神田・日本橋と吉原を結ぶ蔵前通りに、夜な夜な追剥が出没するようになった。 そんな中、ある男が吉原の花魁(おいらん)から、ぜひ今夜来てほしいとの手紙を受け取ったため、意地ずくでも行かねばならない。
 そこで、渋る篭屋に掛け合ってなんとか駕籠に乗り込むが・・・・・。
 道楽さんは、前回のリベンジに燃えて、2回連続の「蔵前駕籠」となりました。

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子ほめ
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

 何事に付けストレートな物言いの八つぁんに、ご隠居さんがお世辞の言い方を教える。
 年を若く言ってやれば相手も気持ちよくなって一杯奢ろうかと思わせる事が出来るんだと聞き、 出産祝いとられて悔しいから、どう言ったら一杯呑ませて貰えるかも伝授してもらう。 でも、そこは八つぁん、 付け焼き刃の世辞は全く功を奏すことは無かった。・・・

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千早振る
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 留さんとこの娘さんが百人一首にこり始めて「おとっつぁん教えてよ」と聞いてきた。 こんな時は『困ったときの隠居頼み』。ところが「聞くは一時の恥、聞かざるはマツタケの恥」 と、のたまうようなザル知識。とってつけたような解釈をもっともらしく披露するのだが、
留めさん、もしかしたらどこかで気がつきましたか。・・・・・

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中村仲蔵
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

苦労の末、名題昇進となった中村仲蔵に、忠臣蔵の芝居でもらった役が五段目の 定九郎という悪い役。意気消沈する仲蔵に女房のおきしは「お前さんで無ければ 出来ないような良い定九郎を見せてくれ」と言う。
柳島の妙見様に願掛けをした満願の日、雨宿りで入ったそば屋で、駆け込んで 来た浪人者の風体から、役作りを思いつく・・・。
名人中村仲蔵の誕生秘話。先代の林家正蔵の「中村仲蔵」は、絶品だねぇ。

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第49回 富久寄席
平成29年11月12日(日)・11月18日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

弥次郎
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 とんでもないホラ吹き男の話。隠居がお茶を飲んでいると、うそつき弥次郎がやって来る。
 「一年ばかり北海道に行ってきました。あまり寒いので、あちらでは凍ったお茶をかじっている。 そんな天候だから、「おはよう」の挨拶まで凍ってしまい、それを一本いくらで売っている。」と言いたい放題。
果ては、「燃えている火事まで凍ってしまい、これを切り取って持って帰る」などなど・・・・。  ホラ吹きもここまで来ると小気味良い。




茗荷宿
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 「江戸時代の飛脚は、江戸と京都を月に三度往復するというつわものも居た。 しかし、生身の人間だから足を挫いてて走れなくなることもあり、次の宿まで行くことができない。 薬はあり、明日になれば治ってしまうが、旅籠『茗荷屋』の看板が見えた。
 早速泊まり、風呂に入って、食事をしてすぐに寝るから、この挟み箱を預かって欲しいと伝えた。 宿の親父は、重いので聞くと100両が入っているという。 親父は飛脚が物忘れして100両を忘れていったら良いと思い、屋号にちなんで茗荷をたらふく食べさせることにした。さて、結果は・・・・

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蔵前駕籠
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 江戸末期、維新の騒ぎで世情が混乱を極め、神田・日本橋と吉原を結ぶ蔵前通りに、夜な夜な追剥が出没するようになった。 そんな中、ある男が吉原の花魁(おいらん)から、ぜひ今夜来てほしいとの手紙を受け取ったため、意地ずくでも行かねばならない。
 そこで、渋る篭屋に掛け合ってなんとか駕籠に乗り込むが・・・・・。

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風呂敷
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

 やきもち焼きの亭主をもったカミさんが近所の若いもんと家の中で話し込んでいた ら、「遅くなる!」と言い置いて出掛けた亭主が「用事が早く済んだから」と酔っぱらって早くに帰ってきた。 慌てて若いもんを押し入れに隠したら、亭主が前に座って動かない。頼りにしているアニさんに 「何とかして欲しい」と泣きつくと、何とかなったという話。


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壺算
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 お人好しの留めさん。水瓶を買うのに兄貴分の源さんに一緒に行って貰いたいと頼むと二つ返事で引き受けてくれた。
そして言葉巧みに交渉をして商売人を煙に巻き、お陰で留めさんは安い値段で水瓶を手に入れることができた・・・・かな?。
 舟楽さんが、関西弁で軽妙に話すこのお噺がとても小気味よい・・・・

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井戸の茶碗
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

 麻布谷町に住む、くず屋の清兵衛さん。曲がったことが大嫌いで正直一途な男。人呼んで「正直清兵衛」。 ある日、とある裏長屋に入っていくと、十七、八の、大変に器量はいいが、身なりが粗末な娘に呼び止められ、 家に入ると、待っていたのはその父親で、千代田卜斎(ちよだ・ぼくさい)と名乗る、人品卑しからぬ浪人。
 その卜斎が、家に古くから伝わるというすすけた仏像を出し、これを二百文で買ってもらいたいと、頼まれる。 清兵衛は、本当なら金物は扱わないが、この貧に迫られたようすに同情し、「これを売ってもうけがあれば半分はこちらに持ってくる」 と約束して買い取ることから騒動が巻き起こる。・・・・・
 浪人、千代田卜斎と細川家の家来、高木佐久左衛門の意地の張り合いに 清兵衛さんが巻き込まれ、スッタモンダのあげく、卜斎の娘を高木に嫁がせるという一席。

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第48回 富久寄席
平成29年5月21日(日)・5月27日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

コンビニ強盗
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

コンビニに押し入った強盗が店員にいいようにあしらわれて弁当などを買わされてしまうという春風亭百栄の新作落語。
 特にに若い強盗と店員のやりとりがバカバカしくて、面白い。万作さんにぴったりの演目(ネタ)である。



湯屋番
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 勘当されて居候となった若旦那、あまりのグータラぶりに居候先のカミさんがあきれて、 亭主に「湯屋で若い人探してるから、そこに放り込んだら」とせっついた。 湯屋ならと二つ返事で話を呑んだ若旦那。うまく番台に座れることになったのだが、 妄想の世界にズッポリ浸り身振り手振りで一人芝居のあげく、変な声まで出す始末。 あきれた客に殴られてやっと我に返る。

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天災
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 江戸っ子の八つぁんは気が短いのが玉に瑕。 今日もカミさんとお袋さんを蹴散らしてご隠居の所に『離縁状』を二枚書いてくれと言いに行く始末。 呆れたご隠居は心学の先生に諭してもらうべく紹介状を持たせて出向かせる。 さすが先生!その気になった 八つぁん、 熊さん家のもめ事に教えて貰ったばかりの心得を披露するのだがやっぱりだね。・・・・・・・

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転宅
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

妾宅に入った泥棒、盗むつもりが 妾にあっさり騙されて 財布の金までむしり取られてしまったが、 そこは 間抜けなことに気づかない。 翌日約束の時刻に行ってみると、様子がおかしい。聞くと近所の者達が集まって  易々騙された泥棒の面を見て笑ってやるんだと言われてしまう。 妾は前は義太夫をやっていたそうだと聞かされ「かたりが上手いはずだ」・・・・・。

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浮世床
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

髪結床(かみいどこ)に若い連中が集まって、備え付けの講釈本「太閤記」・ 姉川の合戦を立て板に水で読もうとしたり、 王将なしで将棋をさしたりするドタバタものの一席。
この話は、1812(文化9)年、式亭三馬の「浮世床」に題材を得たもので、 江戸幕府は1658(万治元)年、 江戸市中に髪結床の株を設け、町内に一カ所ずつ、 八百八町に八百八株と決めたが、幕末には二千四百余に及んだという。

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第47回 富久寄席
平成28年10月23日(日)・10月29日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

ざるや
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

古今亭志ん生の長男・金原亭馬生が寄席で好んで演じた縁起担ぎの一席。時代設定は明治末期~大正期ごろと思われる。 調子のいい若い衆がざるの売り子となって、大家(たいけ)の旦那とくり広げるやりとりが実に楽しい。



粗忽の釘
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

そそっかしい亭主、引っ越しの日に風呂敷包みを一つ持って出て行ったきり。
そのあげく、自分で決めてきた家まで忘れるしまつ。
釘を打たせりゃ、隣まで抜けるようなドジをする。
謝りに行かせても、粗忽者は粗忽な言葉しか言わないんだこれが。

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真田小僧
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 子どもが父親にお小遣いをねだるが、「今朝やったばかりだ」と言われて、もらえない。 それじゃ、お母っさんにもらうという。この間、留守の時に来たおじさんのことをお父っつぁんにに話すといえば必ずくれるという。 これを聞いた父親も不安になって、話の続きを聞きたがる。・・・・・



すみれ荘201号
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

男子学生とすみれ荘201号室で2年半も同棲している女子大生の「裕美子」が主人公である。
20歳になった彼女に、田舎の母親が見合いを勧める。見合いの相手は彼女より年上の地方公務員。裕美子の心は揺らいでいた・・・・。 東京にもどった彼女はルームメートの彼にお見合いしてきたことを告げる。 別れ話のなかで、裕美子と彼は互いに今まで言わなかった「秘密」を話し始める・・・・。
この噺は、柳家喬太郎の新作落語で、今宵、かえでは初めての新作に挑戦する。



代り目
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

古今亭志ん生が闘病一年ののち、奇跡的にカムバックしたのは昭和37年11月の上席からだった。 再起第一声は、新宿・末広亭の高座で、釈台にもたれて、この「代り目」を演じると、客席のあちこちから 「おめでとう」の声が掛かった・・・・。 類話は1812(文化9)年の「福三笑」に出ている。この話は、酔っぱらいものの代表作で、 当席(富久寄席) での口演は、照照 第29回以来約9年ぶりである。

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くしゃみ講釈
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

無愛想な講釈師がしゃくにさわるというので、常連(じょうれん)がコショウの粉を客席からあおぎ上げて 困らせてやろう、 ということになった。
昭和の大名人の一人、三代目三遊亭金馬も得意としていた噺(はなし)で、 この明るくにぎやかな演目を当席の徒然亭がはつらつと演ずるところが聞きどころである。




第46回 富久寄席
平成28年5月22日(日)・5月28日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

堀の内
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

粗忽者の亭主が、なんとか粗忽を治したいと女房に相談すると、 それなら信心している堀の内のお祖師さまに願掛けをすればよいと勧められる。
ところが、手ぬぐいと間違えて猫で顔を拭いてひっかかれたり、 方向を間違えて両国に行ったり、途中で行き先を忘れたりと、大騒動。 果たしてその結果は・・・・・。
とにかくめちゃくちゃに面白い噺である。
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厩火事
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

年下で遊び人の亭主に持った髪結いのお崎が、旦那の所に夫婦げんかの相談に行く。
そこで旦那は、亭主の了見を試してみろと、お崎に二つの噺を聞かせる。唐(モロコシ)の国の孔子という偉い学者の話と 妻より皿を大切にする、麹町のさる殿様の話。・・・・
「けがは、無かったか」「まあ、うれしい。猿じゃなくて、モロコシだよ」というところが面白い。ただ、結末は・・・
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あくび指南
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

友達に付き合ってもらってあくびのけいこに来た若い衆が、師匠とくり広げる間の抜けたお話し...。 この噺は、上方の「あくびのけいこ」が東京に移植されたもので、類話は1776(安永5)年の「あくびの寄合」。 何事もテンポの早さが求められる現代の、いわば対極にあるお噺で、なにかゆったりとした時代流れを感じます。
今宵の道楽は、ここに新しい工夫を凝らし、お客様を大いに沸かせます。
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新版・寿限無
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

待望の男の子が生まれ、大喜びの熊五郎。お七夜に名前を付けなければならないが、いざとなるとなかなかいいのが浮かばない。 考えあぐねてお寺の和尚に名前を考えてもらう。いろいろな名前の候補を出してもらうが、どうにも、決めかねて全部つなげた馬鹿長い名前にしてしまう。
ここまでは、今までの寿限無。今宵の「新版・寿限無」は、この名前をつけられた子供の、その後をお話しいたします。さて、どうなることやら・・・・・



鰻の幇間
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

野幇間の一八が、カモの旦那を捕まえた。旦那が、鰻を食おうと誘ってくれた。 これ幸いと店に上がって、さんざん飲み食いし、勘定の段になったら旦那がいない。 何のことはない、こちらがカモになっていた。
カモになったと気づいた一八が、女将さんに愚痴るところが面白い・・・・・



死神
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

借金で首のまわらない男が死神に出会い、金もうけを教わる。
医者になって患者の寝ているところへ行き、足もとに死神がいたら呪文(じゅもん)をとなえれば死神は退散し、 病人はなおる。逆に、もし死神が枕もとにいたらば、それは寿命だからあきらめろと云え、といわれる。
いわれた通り医者の看板をかかげると、いつも死神が足もとにいるので名医との評判がたち、大もうけする。
ところが、一万両の礼金に目がくらみ、ついに枕もとの死神に手を出してしまった。果たしてその結末は・・・・・
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第45回 富久寄席
平成27年11月1日(日)・11月7日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

猫の皿
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 掘り出し物を探している道具屋。
ふと立ち寄った茶店で、猫が高価な器で餌を食べているではないか。 茶店の親爺からうまいこと安価で手に入れようとたくらむが、相手が一枚上手だった・・・ ・・・・。
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権助魚
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

 どうも旦那が外に愛人を作っているらしいと嗅ぎつけたおかみさん、 そこで、いつも旦那のお供をしている飯炊きの権助を呼んで、問いただすが、 なかなか口を割らない。そこで、食い物とお金でもって買収に成功。そして・・・・・



お見立て
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 吉原の喜瀬川花魁。毎日せっせと通ってくる田舎者の杢兵衛大尽が嫌で嫌でたまらない。 廓の若い衆に「なんとか顔だけでも出してほしい」と説得されても「いま病気だと、ごまかして追い返しとくれ」頼む始末。 ところが杢兵衛大尽いっこうにひるまず、「病気なら見舞いに行くべえ」と言いだした。 で、めんどうくさくなった若い衆が「実は花魁は先月、お亡くなりになりました」と、言ってしまったから、ややこしくなってきた・・・・・



出来心
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

  「どうもお前には泥棒家業が向かないようだ」と親分に言われた、石川五右衛門の末裔『二右衛門半』。 「改心して真面目に悪事に励みます」とは言うものの、ドジばかり踏んでいる。 大きな仕事をしようとするから無理があると考えた親分、空き巣ねらいを提案してみた。
 さて、親分に空き巣をやってみろと言われた二右衛門半。何軒かしくじるが、 ようやく長屋に忍び込めた。 そこはスカンピンの八五郎の家、 何と泥棒が入ったことを利用して大家さんに 盗られる物も無いのに盗られたと、 あれこれ並べ立てる始末。しかも裏はすべて花色木綿ときた。 切れる二右衛門半、泥棒の常套句「貧の出来心で」と八五郎、呆れる大家の一幕。 ・・・・
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片棒
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 赤螺屋ケチ兵衛という筋金入りのケチ男。食うものも食わずに金をため込んで今の身代を築いたが、 寄る年波で、そろそろ三人の息子の誰かに身代を譲らなくてはならなくなった。 そこで、息子たちを呼んで、「オレがもし明日にでも死んじまったら後の始末はどうするつもりか」と、 一人ずつ聞かせてもらった。ところが、長男も次男も身代を食いつぶすような豪華な葬式を上げるという。 あきれかえったケチ兵衛は、三男に期待をかけるが・・・・・
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第44回 富久寄席
平成27年5月24日(日)・5月30日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

転失気
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 ある寺の住職が、下腹が張って医者を呼んだ時「てんしきはありますか?」と聞かれ、 解らないとは言えなくて思わず「ありません」と答えてしまった。 困った住職は、小僧の珍念に「先生のところに薬を取りに行った時に、自分が知らないふりをして聞いてこい」と言いつける。 医者に聞くと、「『てんしき』というのは傷寒論の中にある。転び失う気と書いて転失気だ。オナラのことだよ」と言われる。 住職も知らなかったんだと気づいた小僧は、いたずらを考えるが・・・・・・・
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鈴ヶ森
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

 ドジでマヌケな新米泥棒を親分が実地指導をするが、
 「出掛けるから、にぎりめしを入れた風呂敷を担げ。舅(しゅうと)に食べさせるんだ」、「舅って連れ合いの親ですよね」、「違う!!!」・・・・・・。
  「ドスを差して行けよ」、「何でドスって言うんですか」、「うるせえな。ドッと刺して、スッて抜くからだ」・・・・・・・。
一時が万事、この調子のドタバタ噺。
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大工調べ
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 長屋に、お母さんと2人暮らしをしている大工の与太郎。頭はいまいちだが、腕は確か。 ところが、店賃の形に道具箱を家主・源六に取られてしまった。棟梁の政五郎が掛け合いに行くと・・・・・。
この噺では、めずらしく腕の立つ大工の与太郎が登場する。
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動物園
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 ぐうたらな男が大金を稼ぎたいと移動動物園にやってきた。園長は男に、虎の皮を渡してこう言った。「目玉展示のホワイトタイガーが死んでしまったため、 残った毛皮をかぶって虎になりすませ」というのだ。早速毛皮をかぶった男は、園長に虎の歩き方を教わった。進行方向と逆に前足を向けると虎らしく見えると言う・・・。 動物園が開園し、のんびりと虎のふりをしているしている男のところへ、動物園のアナウンスが「虎とライオンの猛獣ショー」の開催を告げた。さあ大変・・・・。



代脈
野芽家詩栄(のめや うたえ)

 医者の良玄が、病に伏せている蔵前の伊勢屋のお嬢さまのもとに代脈に行くよう、まぬけな弟子の銀南に命じた。
ただ良玄が言うには、「この間のこと、お嬢さまはひどく下っ腹が堅くなっておったので、 腹をさすって、下腹をひとつグウと押すと、どういう加減か、プイとおならをなすった。 お嬢さまがみるみるうちに顔が赤くなって恥ずかしそうだ。 そこで、機転を利かせて、そばの母親に『年のせいで、この四、五日のぼせて、わしは耳が遠くなっていかんから、 おっしゃることはなるたけ大きな声でいってくださいまし』と話しかけて、お嬢さまを安心させた。」
そんなことにならぬよう、下腹などさわるでないぞ」と釘を刺した。・・・・・・・
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やかん
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 「根問い」というのは、言葉や物事のいわれ、ルーツをたずねること。落語の演目には、 いわゆるこうした「根問いもの」も数多くあり、”やかん”、”浮世根問い”などが有名である。
こよいの舟楽は、「やかん」根問いの本題に入る前に終わるという。さて、どうなることか・・・・
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子は鎹
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

 腕はいいが、飲んだくれの大工の熊さん。おかみさんのお光さんと壮絶な夫婦げんかの末、「もう愛想も小想も尽き果てた」とせがれの亀坊を連れて家を出てしまう。
それから3年、断酒してすっかり心を入れ替えた熊さんは番頭さんと一緒に木場へと出かけていく。 その途中、とある道ばたで、3年前に別れてしまったわが子が友達と遊んでいるのを見つける。 番頭さんに時間をもらい、熊さんは亀に声をかけた・・・・・。
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第43回 富久寄席
平成26年10月26日(日)・11月1日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

松竹梅
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

松さん、竹さん、梅さんの3人組。名前がお目出たいというのでそろってお店(たな)の婚礼に招かれたが、 そこでくり広げるドタバタ劇。「高砂や」同様、婚礼の席での失敗が材料になっている。 もともとは上方種(かみがただね)で、初代・松富久亭松竹(しょうふくていしょうちく)の作。
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かぜうどん
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

上方で「かぜうどん」として演じられてきたものを、明治期に三代目小さんが東京に移植して「うどんや」として演じる様になったもの。 よっぱらいの仕草や冬の寒さの表現、うどんのすすり方など見せ場の多い落語である。
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明烏
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 鼠が囓ったら歯がこぼれそうな程堅い、日向屋の一人息子。 行く末を案じた父親が町内の若い衆に頼んで一晩連れ出してもらうことに。
「浅草の観音様の裏手にあるお稲荷様に行こうと」誘い出し、だましだまし何とか遊郭の座敷に引っ張り込んだ。 ようやく気がついた若旦那、泣くのわめくの手が焼ける。 ところが花魁としっぽりとなり、今度は帰るのを渋り手が焼ける。・・・・・・・
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加賀の千代
野芽家詩栄(のめや うたえ)

昔加賀の国の千代という人が井戸へ水汲みに行ったら朝顔の蔓が釣瓶に捲きついてきれいな花を咲かせてた。 水を汲むには朝顔の蔓を切らなくてはならない。それはかわいそうだというのでわざわざ近所の家に行って貰い水をした。 のちにそれを『朝顔に 釣瓶取られて 貰い水』と一句詠んだ。・・・・・・・
女房の入れ知恵で借金を頼みに行くという、年末恒例のお話。



厄払い
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

ニヤニヤしながら揉み手をして歩いている与太郎をおじ夫婦が心配して、ひとつ商売でもさせることに。
『厄払い』なら元手がいらないから損もなかろうと口上を教えるのだが覚えられそうもない。 そこで、紙に書いて持たせるが読むのもたどたどしいし、間違えるし、 難しい漢字となると全くお手上げ状態でとうとう途中で逃げ出す始末。・・・・・・。
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落語まんが工房<小噺 厄払い こぼれ話>へ



金明竹
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 与太郎は叔父さんの言うことをちゃんと聞いてお店番をしているんだけど、 チョットずれている。お客様の応対を任せっぱなしにしていると、 世間からは叔父さんまでもおかしな人に思われ兼ねない。それでも、 どこか可愛くて憎めない与太郎は、今日もやらかす。・・・
落語まんが工房<金明竹>へ
落語まんが工房<金明竹エピソード>へ
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第42回 富久寄席
平成26年5月25日(日)・31日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

つる
野芽家詩栄(のめや うたえ)

 長屋の八五郎が、鶴の名前の由来を隠居に尋ねると、「昔、一羽の首長鳥が唐土(もろこし)からツーと飛んで来て松の枝に止まり、 もう一羽がルーと飛んで来て松の枝に止まり、ツルになった」と隠居が教える。
これを聞いた八五郎、「よし、この話を他のところで披露し、自慢してやろう」と隠居の所を飛び出した、までは良かったが・・・・・・・
 短いなかに、笑える要素がいっぱい入った根問いモノである。



バールのようなもの
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 立川志の輔さんの新作落語。大工の主人公が、「バールのようなもの」とはなにか気になり、ご隠居に訊く。 するとそれは、「バールではない」と言われる。では、「妾のようなもの」は妾ではないのだと聞くと、 それは妾の意味が強まってしまうと言う。聞いているうちにだんだん解らなくなる落語である。



星野屋
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

 星野屋平蔵という金持ちのだんな。三十両の金をお花にやって手切れにしようとするが、 女の方は「だんなに捨てられたら生きている甲斐がない」という。平蔵は、しばらく考えた末 「そんならおまえ、どうでも死ぬ気か。実はおれも今度悪いことがあって、店をたたんで、自害をするつもり」 と意外な打ち明け話。それならいっそのことおまえと心中したいが、どうだ、いっしょに死んでくれるか と言われると、お花も嫌とは言えない。・・・・・。



看板のピン
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

 若い者が集まって博打(ばくち)を開帳していると、この道では年季の入った親分が現れる。
 若い者から、胴を取ってもらいたいと頼まれたので、 オレは四十二の時からバクチはやめているが、てめえたちがそういうならと、壺皿の前に座る。 賽子を壺皿に投げ入れると、上手の手から水が漏れたか、賽子が壺皿の外にポロリとこぼれ、 一の目が出ている。・・・・・。



牡丹灯籠
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

 根津の清水谷に萩原新三郎という若い美男の浪人が住んでいた。 そこへ、毎夜毎夜、若い娘のお露、女中のお米の二人が通って来る。 ある日、人相見の白翁堂勇斎という人が新三郎宅を覗いてみると、なんと新三郎と会っているこの二人は 幽霊であった。
 このままだと、新三郎は幽霊に憑り殺されてしまうというので、 白翁堂はお露さんの墓のある新幡随院の和尚に助けを求める。・・・・・。
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三方一両損
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 長屋に住む左官の金太郎。ある日、柳原の土手で、大工・吉五郎名義の書きつけと印形、三両入った財布を拾ったので、 早速家を訪ねて届けてやる。 ところが、偏屈で宵越しの金を持たない主義の吉五郎、印形と書きつけはもらっておくが、 オレを嫌って勝手におさらばした金なんぞ、もうオレの物じゃねえから受けとるわけにはいかねえ、 そのまま持って帰れと言い張って聞かない。 親切心で届けてやったのを逆にすごむ始末なので、金太郎もカチンときて、大喧嘩になる。・・・・・。
 文化年間に、講談の「大岡政談もの」の一部が落語に脚色された噺である。
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第41回 富久寄席
平成25年10月20日(日)・26日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

魚根問
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

 この世に知らないものはないと豪語する隠居。長屋の八五郎が魚の名前を聞きにやってきた。
鰻の名前の由来を聞くと、昔はのろいのでノロといった。あるとき鵜がノロをのみ込んで、大きいので全部のめず四苦八苦。 鵜が難儀したから、鵜が難儀、鵜・難儀、鵜難儀でウナギとなった、と曰う。
言葉の由来をたどる「根問い」ものの定番。



牛ほめ
野芽家詩栄(のめや うたえ)

 いつもボケ状態の与太郎さん。おとっつぁんは心配でしょうがない。今度おじの佐兵衛が家を新築したので、 その祝いに与太郎さんを行かすこととなった。そこで、家を褒める練習をし始めた。
「『家は総体檜づくりでございます。畳は備後の五分べりで、左右の壁は砂摺りでございます。 天井は薩摩の鶉杢(うずらもく)で。けっこうなお庭でございます。お庭は総体御影づくりでございます』 と、こう言うんだ」。さてさて、与太郎さん、うまく言えましたか・・・・・
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付き馬
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

うまいことを言って、吉原でさんざんドンチャン騒ぎをした男。 勘定が払えないというので、翌朝、若い衆を付き馬に連れて、吉原を出る。
付き馬の方はいつ払ってくれるのかと、いらいらしているが、 この男、なかなか口がうまく、銭湯代から朝飯代から、何から何まで若い衆に立て替えさせてしまう。・・・
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初天神
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

長屋の熊さんが、初天神にお参りに行くと言いだす。 それを聞いたかみさんが、それならせがれの金坊を連れていってくれと言うが、 熊さんは、「あれを買えこれを買え」とうるさいのでいやだと言い争っていると、 当の金坊が顔を出して、男と男の約束で「言わない」から連れて行けと・・・・・・・
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壺算
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

 お人好しの留めさん。水瓶を買うのに兄貴分の源さんに一緒に行って貰いたいと頼むと二つ返事で引き受けてくれた。
そして言葉巧みに交渉をして商売人を煙に巻き、お陰で留めさんは安い値段で水瓶を手に入れることができた。・・・・・・・
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二番煎じ
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

 火事と喧嘩は江戸の花。江戸は本当に火事が多かった。そこで、町内に夜番小屋を置き、商家のだんな衆が交代で夜回りをすることになった。 ところが、外に出ると凍るような寒さ。みな懐から手を出したくない。宗助は提灯を股ぐらにはさんで歩くし、黒川のだんなは両手を袂へ入れたまま打つので、 全く音がしない。鳴子係のだんなは前掛けに紐をぶら下げて、歩くたびに膝で蹴る横着ぶりだし、金棒持ちの浪花屋さんに至っては、 握ると冷たいから、紐を持ってずるずる引きずっている。さてさてこの先どうなることか・・・・。
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第40回 富久寄席
平成25年5月19日(日)・25日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

お菊の皿
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

ストーカー代官に斬られて井戸に捨てられた腰元『お菊』の幽霊が出るってんで
見に行くことになったが、足は前向いてるが気持ちは後ろってな具合で
情けないねえ。ところが、『お菊さん』色白で(幽霊だからね)見目麗しゅうって
きたもんだから、連チャンで通い詰めちゃった。
噂が噂を呼んでお祭り騒ぎの幽霊見物になっちゃったよ。・・・・・
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みどりの窓口
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

みどりの窓口にやって来る、一癖もふた癖もあるお客との対応で、すっかり
疲れてしまった窓口職員。仲間と憂さ晴らしをしようと、居酒屋にやってきた。
つまみの「わかさぎ」が無いことに腹を立てるが・・・・
見所は、やはり窓口に来るお客さん。
「よくこんな切符の買い方を考えられるな」とそのアイディアに脱帽ものです。



船徳
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

船宿に居候をしている若旦那、酔狂に船頭になりたいと言い出した。
意気揚々と格好だけは一人前。それとは知らず客になった方は災難と言うより他ない。
目的の桟橋の近くまでは何とかたどり着いたが、汗が目に入りそれから先は
進むことができず、客は自力で桟橋まで歩くことに・・・・・。
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たがや
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

川開きの花火でごった返す両国橋。そこへ強引に割ってはいる武家の一行。
たまたま帰り道を急いだ”たがや”が人波に押されて前に出てしまい
つまずいて、持っていた青竹のたがが外れてお武家の陣笠に当たってしまった。
すわ、無礼打ち!となるところを女神がほほえんだ。チャンスがチャンスを呼び
”たがや”一世一代の大立ち回りとなる。・・・・・・・
落語まんが工房<たがや>へ




青菜
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

仕事先でご馳走になった植木屋さん。ご主人と奥方の粋なやりとりを、
自分のカミさんにもやらせようとするのだが・・・・・
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佃祭り
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

小間物問屋を営む次郎兵さん。佃祭りを存分に楽しんで、終い船で帰ろうと
したところを、突然見知らぬ女に引き留められて乗り損なってしまう。
聞けば、3年前に身投げしようとしたところを、次郎兵さんに助けられた女だった。
ところが、乗るはずだった終い船が沈没してしまい・・・・・
「情けは人の為ならず」。舟楽の十八番、じっくりと聴かせます
落語まんが工房<佃祭>へ





第39回 富久寄席
平成24年10月21日(日)・27日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

饅頭こわい
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

町で若者の寄り合いがあって、みんなで次から次へ恐いものの言いあいをした。
皆、蜘蛛・蛇・蟻・・・などと言う中で、辰っつぁんは「世の中に怖いものなぞあるものか」という。
本当にこわいものが無いかと問うと、なんと、饅頭と答えた。
そこで、辰っつぁんを懲らしめようと、饅頭を山のように買ってきて・・・・・
最後の、「後は濃いお茶がこわい」というところが泣かせるね。




手紙無筆
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

字の読めない(無筆)の八五郎の所へ手紙が来た。いつもは、隣の書生さんに
読んでもらっているが、今日は、生憎と留守だ。仕方がないので、兄貴に
読んでもらおうと思って持ってきたが、実は兄貴も無筆だった。
兄貴は、何とか手がかりを探そうとするのだが・・・・・
落語まんが工房<小噺 無筆>へ



崇徳院
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

商家の若旦那・作次郎が病に倒れて、明日をも知れぬ状態。なにか心に思う
ところがあるようなのだが、誰にも話さないという。
そこで、親旦那は幼なじみの熊五郎を連れてきた。熊五郎に聞いてもらったところ、
なんと恋煩い。熊五郎は、何の因果かその娘を捜し回ることに・・・。
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」(崇徳院)
落語まんが工房<崇徳院>へ




狸の札
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

たぬきが恩返しをする話が、いくつかあります。一つは狸賽、もう一つは狸の札。
世知辛い世の中、なにか狸の方が義理堅いですねぇ・・・・。
落語まんが工房<狸賽>へ




短命
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

八五郎が隠居の所へ駆け込んできた、「伊勢屋の旦那が三度死んだ」。
美人の嫁さんを持つと短命だという、誠にうらやましい落語。
見所は、二番目の亭主、通称ぶりのあら・・・・。
ここで、大いに笑っていただきたい。
落語まんが工房<短命>へ




抜け雀
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

人の良い亭主の宿に大酒飲みの客が泊まった。三日目に「酒代だけでも」
と催促すると「金はない。代わりに絵を描いてやる」と言う。
以前経師屋が宿代代わりに作って置いていった衝立に描き始めた。
亭主が「これは?」と聞くと「お前の眉毛の下に二つ光っているのは何だ目だろ
見えなかったらくり抜いて銀紙でも貼っておけ」と威張ってみせる。
ところがこの絵が大評判となる。!
落語まんが工房<抜け雀>へ




第38回 富久寄席
平成24年5月20日(日)・26日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

買い物ぶぎ
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

奥さんから買い物を頼まれた男が、ドラックストアで新米のちょっと間抜けの店員と
問答をするというお話。とにかく、男の質問が面白い。「たらこのドリンク」って何だ。
それは「疲れたらこのドリンク」の「疲れ」が箱で隠れていた・・・とか。
「お風呂のユアペットの立場は・・・」など。まさに立川志の輔の世界である。



真田小僧
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

父親から小遣いをせしめようと、息子が(悪)知恵を働かす噺。
「母ちゃんのところによそのおじさんが訪ねて来た」とつぶやくと、父親は気になり、
話せと迫る。キザな白い服を着て、色眼鏡にステッキの男だ。・・・・
息子は、按摩の話でまんまと小遣いをせしめた。
上方落語の「六文銭」を、三代目柳家小さんが東京に移した噺。



酢豆腐
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

町内の若いもんが集まって暑気払いに一杯やることになったが、酒は工面
できたが肴がない。みんなスカンピンときてる。夕べの残りの豆腐が
あったのを思い出したが、与太郎に預けたのが間違いで一晩で腐ってしまった。
「捨てる前にキザ野郎の若旦那に喰わしちまえ」ってんで、
うまい具合に通りがかった若旦那つかまえて「何て食べ物でしょうか」
とおだてるとさすがキザ野郎、一口食べて知った風に『酢豆腐』
と答える。アッパレ!
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代書
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

代書屋とは、今で言う司法書士や行政書士のようなものですが、大正時代や
昭和初期はまだまだ文盲が多かったため、このお噺に出てくるような、
履歴書などの記入代行をするような小さな代書屋があちこちにありました。
それにしても、代書に出てくる依頼人はどれも個性豊か。噺を聞いていて
イライラしながらも、大爆笑してしまいます。
舟楽さんの「コテッ」が最高です。
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中村仲蔵
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

苦労の末、名題昇進となった中村仲蔵に、忠臣蔵の芝居でもらった役が五段目の
定九郎という悪い役。意気消沈する仲蔵に女房のおきしは「お前さんで無ければ
出来ないような良い定九郎を見せてくれ」と言う。
柳島の妙見様に願掛けをした満願の日、雨宿りで入ったそば屋で、駆け込んで
来た浪人者の風体から、役作りを思いつく・・・。
名人中村仲蔵の誕生秘話。先代の林家正蔵の「中村仲蔵」は、絶品だねぇ。
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千両みかん
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

ある大店の若旦那が、病で寝込んだ。何か腹に思いがあるようだが誰にも
話さない。そこで、番頭の佐兵衛に聞いてもらうと、なんと「みかん」を
食べたいとのこと。しかし、季節は真夏の八月。佐兵衛は町中を
探し回ることになる。ようやく、問屋街で一個だけ見つけたみかんは、
なんと1つ千両・・・・・・。
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第37回 富久寄席
平成23年11月13日(日)・19日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

ん回し
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

仲間で集まって酒を飲んでいたら、『ん廻し』と言う遊びをやろうと言うことに
なった。”ん”と言う言葉を言っただけ、田楽を食べられるという。
はじめは、みかんで一本とか大根で一本だったが、「本山坊さん看板ガン」で7本、
「産婦三人皆んな安産産婆さん安心」で九本とエスカレートするばかり・・・・・




錦の袈裟
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

普段は、仲間のお荷物になっている与太郎が、ある日仲間と郭に行って、
なんと一人だけもててしまうという楽しいお噺。
和尚さんから借りた錦の袈裟を、褌にしてしまうという、罰当たりな事をやって
いるのだが、そこが何とも面白い。前の方でぶらぶらしている袈裟輪が、
「ちん輪」と呼ばれたり、仲間が全員家来に間違えられるという痛快さは、
別格ですね。




時そば
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

「小銭は間違えるといけねえ。手ェ出しねえ。
それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきでぇ?」
「九ツで」
「とお、十一、十二……」
冬になると聞きたくなる、お馴染みの落語。こよい、夢家道楽が軽妙に聴かせます。
ところで、簡単に落語の世界に入れる「時そばゲーム」でもやって見ませんか。
なお、このゲームのそば屋のモデルは夢家道楽さんですよ。




てれすこ
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

ある漁村で、珍しい魚が捕れたが、漁師たちも、誰も、その魚の名前がわからない。
そこで奉行所で、この魚の名前の解る者に百両の賞金を付けた。
この賞金に目がくらんだ男が、「この魚の名は『てれすこ』です」と申し立てた。・・・・
なぜか、烏賊の干したのがするめで良かったなあと思う噺。



粗忽長屋
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

八五郎は不精でそそっかしく、熊五郎はまめでそそっかしい。
まめでそそっかしい熊五郎が、浅草の観音様へお参りに行った帰り道で
行き倒れに遭遇する。その行き倒れを八五郎だと言い始めたところから
噺がややこしくなる。・・・・・
最後の「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいったいどこの誰だろう」
という下りが面白い。
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ねずみ
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

左甚五郎がフラ~と旅に出た先で、貧乏宿の坊やの客引きにほだされて、一泊
することになった。実はこの宿の主、元は向かいの虎屋の主だった。
訳を聞くと女房に先立たれた後、後妻と奉公人に裏切られ、とうとう乗っ取ら
れてしまったという。
ひどい話に一肌脱ぐことになった甚五郎。・・・・・・
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第36回 富久寄席
平成23年5月22日(日)・28日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

つる
野芽家 詩栄(のめや うたえ)

 長屋の八五郎が、鶴の名前の由来を隠居に尋ねると、「昔、一羽の首長鳥が唐土(もろこし)からツーと飛んで来て松の枝に止まり、 もう一羽がルーと飛んで来て松の枝に止まり、ツルになった」と隠居が教える。
これを聞いた八五郎、「よし、この話を他のところで披露し、自慢してやろう」と隠居の所を飛び出した、までは良かったが・・・・・・・
 短いなかに、笑える要素がいっぱい入った根問いモノである。



親の顔
豊年亭 万作(ほうねんてい まんさく)

八五郎の息子の金太が、学校のテストで100点満点中5点という成績をとってきた。
学校の先生から呼び出しがあり、教師・親・金太の三人による三者面談が始まった。 金太になぜこんな回答をしたのかと八五郎が聞くと、もっともな珍回答が返ってきて、その度に八五郎は納得してしまい・・・。




お見立て
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

喜瀬川は、吉原の花魁だが、大金持ちのお客杢兵衛が嫌で嫌でたまらない。
今日も、やってきた杢兵衛に会いたくない一心で「喜瀬川は死んでしまった」と嘘をついたことから話がややこしくなる。
墓参りをしたいという杢兵衛を、若い衆が墓まで連れて来たのだが・・・・・。




権助魚
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

権助は気の利かない男の代表格。 お店の旦那が、どうやら外に女を囲ってるらしいと気づいた女房が、飯炊きの権助に 小づかいをやって買収し、旦那のお供をしていったときに行き先を見届けてくるようにと云う。
あくる日、権助は旦那の供をして出かけたが...。
川魚を買えと言われた権助が、鰹や伊勢エビ、カマボコを買って帰ったので、 奥さんから「どこの川にカマボコが泳いでいるんだい」と言われるところが面白い。



弥次郎
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

とんでもないホラ吹き男の話。隠居がお茶を飲んでいると、うそつき弥次郎がやって来る。
「一年ばかり北海道に行ってきました。あまり寒いので、あちらでは凍ったお茶をかじっている。 そんな天候だから、「おはよう」の挨拶まで凍ってしまい、それを一本いくらで売っている。」と言いたい放題。
果ては、「燃えている火事まで凍ってしまい、これを切り取って持って帰る」などなど・・・・。 ホラ吹きもここまで来ると小気味良い。




宿屋の仇討ち
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

ある宿屋に、金沢八景見物帰りの喜六・清八・源兵衛の三人連れが泊まり、どんちゃん騒ぎをする。
隣に泊まった侍から、「うるさい」と、クレームを付けられ、やむなく始めたのが、色事の話。
それを聞いていた隣の侍が、「これこそ3年探し求めた我が妻と弟の仇。今すぐ踏み込んで、血煙あげて・・・・」 と言い出したからさあ大変・・・・・・。
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第35回 富久寄席
平成22年11月7日(日)・13日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

つる
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

鶴がつーーーーーっと来て、るっと留まる噺



雑俳
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

雑俳とは、かたちは俳句と同じ形式ながら、季語はなく、あくまで風刺や滑稽味を
主眼とする遊びの短詩のこと。
「初雪」の題で「初雪やこれが塩なら大もうけ」とか、
「春雨」の題で「船端をガリガリかじる春の鮫」など傑作が並ぶ。
春風亭柳昇の十八番だった。
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風呂敷
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

やきもち焼きの亭主をもったカミさんが近所の若いもんと家の中で話し込んでいた
ら、「遅くなる!」と言い置いて出掛けた亭主が「用事が早く済んだから」と酔っ
ぱらって早くに帰ってきた。慌てて若いもんを押し入れに隠したら、亭主が前に座
って動かない。頼りにしているアニさんに「何とかして欲しい」と泣きつくと、何
とかなったという話。
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井戸の茶碗
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

浪人、千代田卜斎と細川家の家来、高木佐太夫の意地の張り合いに
屑屋が巻き込まれ、スッタモンダのあげく、卜斎の娘を高木に嫁がせるという一席。
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力士の春
野芽家詩栄(のめや うたえ)

春風亭昇太による新作落語の演目。
将来立派な力士になるように育てられた小学生の噺。
授業参観の日に読む作文に、なぜか相撲用語が入っていたり、球場と休場を
間違えるという、ここまでやって、いいんかいという噺。




粗忽の釘
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

そそっかしい亭主、引っ越しの日に風呂敷包みを一つ持って出て行ったきり。
そのあげく、自分で決めてきた家まで忘れるしまつ。
釘を打たせりゃ、隣まで抜けるようなドジをする。
謝りに行かせても、粗忽者は粗忽な言葉しか言わないんだこれが。
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味噌蔵
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

先日、瀧川鯉昇の味噌蔵を聞きましたが、うまいですねぇ
田楽を食いたくなりました。
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第34回 富久寄席
平成22年5月23日(日)・29日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

青菜
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

仕事先でご馳走になった植木屋さん。ご主人と奥方の粋なやりとりを、
自分のカミさんにもやらせようとするのだが・・・・・
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粗忽長屋
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

八五郎は不精でそそっかしく、熊五郎はまめでそそっかしい。
まめでそそっかしい熊五郎が、浅草の観音様へお参りに行った帰り道で
行き倒れに遭遇する。その行き倒れを八五郎だと言い始めたところから
噺がややこしくなる。・・・・・
最後の「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいったいどこの誰だろう」
という下りが面白い。
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火焔太鼓
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

商売が全くダメな道具屋の甚兵衛さん、客が『この箪笥いいねえ古いけど』と言うと
「ええ、うちの店に六年もあるんですよ」と答え、『引き出しを開けて見せてくれ』と
言われれば、「それがすぐに開くくらいなら、とうに売れちゃってるんですよ」と答
える。自分の家の火鉢を褒められて売ってしまったりと、今度こそはうまくいくと
良いですねえ・・・。夢家道楽の十八番、聞かせます!!。
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堀の内
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

粗忽者の亭主が、なんとか粗忽を治したいと女房に相談すると、 それなら信心している堀の内のお祖師さまに願掛けをすればよいと勧められる。
ところが、手ぬぐいと間違えて猫で顔を拭いてひっかかれたり。途中で行き先を忘れたりと、大騒動。
果たしてその結果は・・・・・。めちゃくちゃに面白い噺である。
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厩火事
野芽家詩栄(のめや うたえ)

年下で遊び人の八五郎を亭主に持った髪結いのお崎が、旦那の所に夫婦げんかの相談に行く。
そこで旦那は、八五郎の了見を試してみろと、お崎に二つの噺を聞かせる。唐(モロコシ)の国の孔子という偉い学者の話と 妻より皿を大切にする、麹町のさる殿様の話。・・・・
「けがは、無かったか」「まあ、うれしい。猿じゃなくて、モロコシだよ」というところが面白い。
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カラオケ病院
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

患者の減少に悩んでいたある総合病院で、起死回生の策として患者が歌声を競い合うカラオケ大会を開催することとなった
それぞれ、自分の症状をどことなく取り入れた替え歌が非常に面白い。
この噺は、豊年亭万作の十八番で、微妙に外れる音程が、演技なのか地声なのかは、今もって不明。



死神
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

借金で首のまわらない男が死神に出会い、医者になれば金もうけが出来ると言われる。 長患いをしている病人の部屋に入り、足もとに死神がいたら呪文をとなえれば死神が剥がれ病人は治る。 逆に、死神が枕もとにいたら、寿命だからあきらめろと云えと教えられる。
いわれた通りにすると、名医との評判がたち、大もうけをするが...。
最後に、男の持っているローソクの火がなかなか点かず、死神に「早くしないと消(け)えるよ~」と言われるところがブラック。
青空亭照照会心の十八番。
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第33回 富久寄席
平成21年11月8日(日)・14日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

松竹梅
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

松さん、竹さん、梅さんの3人が、お店(たな)の婚礼に呼ばれてくり広げる悲しい騒ぎ。「高砂や」同様、婚礼の席での失敗が材料になっている。
もともとは上方種(かみがただね)で、初代・松富久亭松竹(しょうふくていしょうちく)の作。
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初天神
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

原話は、1773(安永2)年江戸版「聞き上手」の中の「凧(たこ)」。当席の若手ホープ 雪乃かえで は、 声柄(こえがら)も良く、何より落語に向き合う姿勢が誠実。安直な笑いを求めていたずらに新作に走ったりせず、 このまま着実に成長してほしいものだ。
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野ざらし
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)





蜘蛛駕籠
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

品川宿に近い鈴ヶ森で駕籠屋が客を待っている。しかし、客が来ない・・・・。当席の席亭・道楽はこれまで、 「火炎太鼓」「品川心中」「崇徳院」「お見立て」などの大ネタを数多く演じてきたが、このはなしは、 小ネタと中ネタのいわば中間くらいの一席。道楽本人は時おり、こうしたにぎやかな高座を演りたくなるようで、 「こよいもお客様とともに、大いに楽しみたい」と語っている。



平林
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

当席の会長・豊年亭万作の東京生活も早や数年に及ぶが、結構毎日をエンジョイしている。(1)月に1~2回は落語 ・演劇の会に足を運ぶ。(2)月に2回は愛妻のY子さんが上京し、デートする。(3)年に2~3回は当席の東京支部長 東海道雲助(私)の案内で、浅草、人形町、向島、深川あたりで一杯やる。次回は12月頃に、柳家さん喬師匠の実家の 洋食屋で一杯やることも既に内定している・・・・。ホントに万作会長は幸せそうだ。
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ナースコール
野芽家詩栄(のめや うたえ)

当席の詩栄が、自らのプログを立ち上げてから早数年が経った。よくまあ、あれだけの落語漬け日々を送れるものだと 周囲の心配をよそに、東京、浜松、大阪、福岡と落語会を追っかけては、その印象をブログにつづっている。軍資金が つづくのも7不思議の一つで、この出所(でどころ)は、いわゆる特別会計ではないのか?とは楽屋雀(がくやすずめ) の評。



目黒の秋刀魚
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

富久寄席の予約方法、(その1)(その2)(その3)3つのうち、最も不確実なのが、(その3)与多朗の会ホームページ への書き込み。理由は、管理人の青空亭が年に3~4回しかチェックしないからだ。こうしたズボラな一面を持った ”富久寄席の極楽トンボ”青空亭が、こよい脳天気なお殿様を演じます。
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(注)なお、本当は「(その3)与多朗の会ホームページへの書き込み」は、ありませんのでご了承下さい。(青空亭)




第32回 富久寄席
平成21年5月24日(日)・30日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

千早ふる
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

 留さんとこの娘さんが百人一首にこり始めて「おとっつぁん教えてよ」と聞いてきた。 こんな時は『困ったときの隠居頼み』。ところが「聞くは一時の恥、聞かざるはマツタケの恥」 と、のたまうようなザル知識。とってつけたような解釈をもっともらしく披露するのだが、
留めさん、もしかしたらどこかで気がつきましたか。・・・・・
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ストレスの海
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

いつもストレスが溜まっている夫(原因は妻なんだが)に、妻がストレス解消法を提案する。「そうだ、海に行くのがいいわ」。 渋る夫を無理やり海辺に連れて行き、ゴムボートに乗って二人で沖にこぎ出す。 青い海、白い雲…ストレスを忘れ始める夫婦。するとボートからシューっという音。・・・・
夫の葬儀で、「どうして旦那さんは亡くなったんですか」と聞かれた妻は「ストレスです」と答えた。
春風亭昇太の新作落語。




転失気
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

「転失気」というお噺、とても面白いおはなしですねぇ。「転失気」がオナラのことなんて、誰も気がつきませんよ。 お医者さんは、和尚さんを試したのかもしれませんね。 そう考えると、また別のおもしろさがでてきます。・・・・・
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老婆の休日
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

桂文珍の創作落語である。オードリー・ヘプバーン主演映画「ローマの休日」をもじったタイトルなのは言うまでもない。



孝行糖
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

 与太郎が親孝行だというので、上様からご褒美に五貫匁頂戴した。
そのままでは使い果たしてしまうだろうと、町役が集まって飴を売り歩くように、 形をこさえ、口上に節を付けたりして、何とか様になった。
「商いはバカになれ」というが、本当のバカだから大丈夫でしょう。「バカの一つ覚え」で口上も覚え、 いざ『孝行糖』を売りに町に繰り出す。!
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先日、立川談志の落語のビデオを見ました。落語らしい落語はやってなかったんですが、その中で「孝行糖」を もじった噺をしていて、それがとても面白かったんで、まんがにしてみました。
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恋するへび女
野芽家詩栄(のめや うたえ)

小学生のたかしくんの家に東京のおばさんがやってきた。おばさんはヘビ年生まれの42歳、 ヘビの形のブーツを履いてヘビ柄の服に身を包み、グレープフルーツを丸呑みしてしまうという、 ヘビ女のような強烈な個性の女性・・・・。
三遊亭白鳥の新作落語。強烈です



佃祭り
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

小間物問屋を営む次郎兵さん。佃祭りを存分に楽しんで、終い船で帰ろうと
したところを、突然見知らぬ女に引き留められて乗り損なってしまう。
聞けば、3年前に身投げしようとしたところを、次郎兵さんに助けられた女だった。
ところが、乗るはずだった終い船が沈没してしまい・・・・・
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第31回 富久寄席
平成20年11月9日(日)・15日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

子ほめ
雪乃 かえで(ゆきの かえで)

何事に付けストレートな物言いの八つぁんに、ご隠居さんがお世辞の言い方を教える。
年を若く言ってやれば相手も気持ちよくなって一杯奢ろうかと思わせる事が出来るんだと聞き、 出産祝いとられて悔しいから、どう言ったら一杯呑ませて貰えるかも伝授してもらう。 でも、そこは八つぁん、 付け焼き刃の世辞は全く功を奏すことは無かった。・・・
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反対車
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

人力車が盛んに走っていた明治のころ。威勢はいいけどそそっかしい男、「上野へ」と言われたのに、 行き先を間違えて川崎まで行ってしまった。・・・・




文違い
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

三遊亭円生の郭話である。客を手玉に取った花魁が、実は間男に手玉に取られていたというお話。
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金明竹
野芽家詩栄(のめや うたえ)

 与太郎は叔父さんの言うことをちゃんと聞いてお店番をしているんだけど、 チョットずれている。お客様の応対を任せっぱなしにしていると、 世間からは叔父さんまでもおかしな人に思われ兼ねない。それでも、 どこか可愛くて憎めない与太郎は、今日もやらかす。・・・
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落語まんが工房<金明竹エピソード>へ
落語まんが工房<小噺 たぶん素直>へ




厄払い
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

ニヤニヤしながら揉み手をして歩いている与太郎をおじ夫婦が心配して、ひとつ商売でもさせることに。
『厄払い』なら元手がいらないから損もなかろうと口上を教えるのだが覚えられそうもない。 そこで、紙に書いて持たせるが読むのもたどたどしいし、間違えるし、 難しい漢字となると全くお手上げ状態でとうとう途中で逃げ出す始末。・・・・・・。
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落語まんが工房<小噺 厄払い こぼれ話>へ




貧乏神
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

仕事もせず貧乏暮らしの男に取り憑いた貧乏神。 あべこべに金を無心されたり、内職して生活を助けたり、いいように使われてしまう。 どっちが貧乏神かわからなくなってしまう、桂枝雀の噺。
落語まんが工房<小噺 貧乏神>へ





第30回 富久寄席
平成20年5月18日(日)・24日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
青空亭照照 記

三味線漫談
抜苦亭 与楽(ばっくてい よらく)

苦を抜き、楽を与える抜苦亭与楽さん、本当に面白い人です。




愛犬チャッピー
野芽家詩栄(のめや うたえ)

とんでもない飼い主に飼われた、愛犬チャッビーの運命は、さてさて・・・・・。




大工調べ
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

長屋に、お母さんと2人暮らしをしている大工の与太郎。頭はいまいちだが、腕は確か。 ところが、店賃の形に道具箱を家主・源六に取られてしまった。棟梁の政五郎が掛け合いに行くと・・・・・。
この噺では、めずらしく腕の立つ大工の与太郎が登場する。
落語まんが工房<大工調べ>へ




初音の鼓
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

骨董好きの殿さまのところに、出入りの道具屋金兵衛が、初音の鼓という怪しげな鼓を売り込みに来る。
側用人の三太夫に、金を渡して、手引きを依頼するが・・・・・。




うなぎの幇間
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

野幇間の一八が、カモの旦那を捕まえた。旦那が、鰻を食おうと誘ってくれた。 これ幸いと店に上がって、さんざん飲み食いし、勘定の段になったら旦那がいない。 何のことはない、こちらがカモになっていた。




紙屑屋
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

道楽のし過ぎで勘当された若旦那。行かされた先は町内の紙屑屋。 早速、いろいろと手ほどきを受け、主人が出かけている間に紙の仕分けをやる事になった。
節を付けて歌いながら、紙くずを仕分ける動作が面白い。





第29回 富久寄席
平成19年11月11日(日)・17日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

のめる(別名:二人ぐせ)
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

友達同士の大工の吉公(きちこう)と建具屋の半公(はんこう)。お互いに、よくない口癖があるので、 今から辞めようと約束したが・・・・・。
原話は、1701(元禄14)年の「くせはなおらぬ」で、さりげない人間の性癖を取り出して、笑いのめしながら、 しかも、日常生活の短写生になっているところが見事である。こういう何気ない小品が、何気ない顔して落語のレパートリーに 並んでいる。そこがすこぶる頼もしい、とは江国滋氏の評。



猿後家
野芽家詩栄(のめや うたえ)

ある大店(おおだな)の後家さん、サルに似ているというので猿後家とあだ名されている。当人はそれをひどく嫌がり、 「サル」という言葉は、店の禁句になっている・・・・。
原話は、安永7年江戸版「乗合船」の中の「物忌み」と云われているが、東京の寄席でもめったに高座に掛かることがなく、 時折柳家小三治が演じている位である。



付き馬
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

志ん生~志ん朝に受け継がれる古今亭一門の十八番(おはこ)。明治期・東京吉原のくるわ噺(ばなし)ではあるが、 登場人物に女性は一人として出てこない。
この話の原型は、1807(文化4)年の喜久亭寿暁ネタ帳「こっけい集」に見られるが、揚代(あげだい)の単位や、 吉原から浅草観音を通り田原町(たわらまち)に至る、当時の道筋の様子が活写(かっしゃ)されている。
骨格のしっかりした芸の力と、スピード感あふれる江戸~東京言葉を自在に操る技量がないと、とても演じきれない噺。
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浮世床
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

髪結床(かみいどこ)に若い連中が集まって、備え付けの講釈本「太閤記」・姉川の合戦を立て板に水で読もうとしたり、 王将なしで将棋をさしたりするドタバタものの一席。
この話は、1812(文化9)年、式亭三馬の「浮世床」に題材を得たもので、江戸幕府は1658(万治元)年、 江戸市中に髪結床の株を設け、町内に一カ所ずつ、八百八町に八百八株と決めたが、幕末には二千四百余に及んだという。
落語まんが工房<浮世床>へ



代書屋
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

上方落語の名人といわれた故・桂米団治(よねだんじ)の昭和13年の作品。のちに弟子の桂米朝、桂春団治 などが演じ、東京へは当代立川談志が移植した。
米朝はその芸談の中で「米団治師匠は、当時大阪の今里に住んでいて、実際に代書屋もやっていたんです」と 語っている。こよい当席の舟楽が、この噺を軽妙に演じます。
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落語まんが工房<小噺 代書屋こぼれ話>へ



代り目
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

古今亭志ん生が闘病一年ののち、奇跡的にカムバックしたのは昭和37年11月の上席からだった。 再起第一声は、新宿・末広亭の高座で、釈台にもたれて、この「代り目」を演じると、客席のあちこちから 「おめでとう」の声が掛かった・・・・。
類話は1812(文化9)年の「福三笑」に出ている。この話は、酔っぱらいものの代表作で、当席(富久寄席) での口演は、第5回の三柳亭文枝以来約12年ぶりであり、こよい照照はこの噺をさらりと演じたい、としている。
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第28回 富久寄席
平成19年5月20日(日)・26日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

元犬
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

浅草・蔵前の八幡さまに迷い込んできた一匹の白犬。何とかして人間になりたいと思いたち、願かけをしたら、 本当に人間になっちゃったという噺。
古今亭志ん生の口演で広く親しまれている動物種(だね)の一席で、人間になった白公と上総屋のだんなたちとの やりとりがじつに楽しい。古今亭一門の十八番。




十徳
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

いかにも、当席・ゆ之助が選びそうな演目。いわゆる根問いものの一つで、同じくり返しをいかに演ずるかが 大変むずかしく、隠居と職人、そして床屋にたむろする職人たちの雰囲気をキチンと演じ分けてようやくお客様の 共感を得られるという本当に難しい噺である。
あえて自らをそういう状況に置こうとする当席・ゆ之助の姿勢は求道的ですらある。




船徳
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

若旦那の徳三郎が船頭になるから「船徳」。落語の演題は実にわかりやすくできている。
このはなしは、道楽がすぎて勘当され、柳橋の船宿の二階で居候の若旦那が、いなせな姿にあこがれ 船頭になりたいと云いだしたところからはじまるドタバタもの。
昭和の名人・桂文楽師匠は、その芸談の中で「船徳の女将は、船宿でもって四六時中若い男を使っている わけです。女が男を使いこなすんですから、どうしても少々伝法なところがあります。このあたりがはっきりで ないといけないわけです」と語っている。芸に力がないと演じきれない噺。
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だくだく
野芽家詩栄(のめや うたえ)

裏長屋に引っ越したばかりの八五郎。貧乏なので家財道具がなにひとつない。そこで、絵描きの先生を 呼んできて、壁紙をはり、家財道具をいろいろと描きいれてもらったのはいいが・・・・
落語のもつセンス、おかしさ、味わいが前面に出ており、理屈ぬきにたのしめる噺で、1773(安永2)年 の「盗人(ぬすびと)」が原話。このはなしを高座にかけたいとする当席の詩栄について、先輩格の 道楽、雲助の2人は、口をそろえて、「うれしいねェ。こうこなきゃいけませんョ」とベタホメしている。 オチも、秀逸。
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短命
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

伊勢屋のお嬢さんの所にお婿さんが来たが、ほどなく死んでしまう。しばらくして、別のお婿さんが来たのだが、 これもすぐにやつれはてて死んでしまう・・・。
どうしてコロコロ死んじゃうの?という若い衆の疑問をご隠居さんがていねいに説明するという艶笑噺。
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中村仲蔵
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

名題昇進した歌舞伎役者の中村仲蔵。「忠臣蔵」五段目の定九郎役を振られ、役づくりに苦労する・・・
はなやかな舞台とは裏腹に、役者の世界の「役付け」をめぐる人間的な葛藤が、仲蔵という人物を通して よく描かれている。笑いの少なすぎる、本当に難しい噺。
今は亡き、三遊亭円生、林家正蔵の所演でも有名なこのはなしを、当席の照照は、こよいしっとりと演じきりたい、 としている。
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第27回 富久寄席
平成18年11月12日(日)・18日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

まんじゅうこわい
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

町内の若い連中が集まって、こわいものの話をしている。ある男は、蛇(へび)がこわいというと、別の男共は 口々に、なぬくじ、かえる、おけら、くもなどと、色々こわいものが出てくるのに、ただ一人、松公(まつこう) だけは、「俺には、こわいもんなんか無え」と言い張る...。
この噺(はなし)の直接の母体となったのは、1779(安永8)年の「気のくすり」の中の「まんじゅう」と いわれている。




権助魚
野芽家詩栄(のめや うたえ)

お店(たな)の旦那が、どうやら妾(めかけ)を囲ってるらしいと気づいた女房が、奉公人の権助に 小づかいをやって、「いいかい、旦那のお供をしていったとき、行き先をちゃんと見届けてくるんだよ」と云う。
あくる日、権助は旦那の供をして出かけたのだが...。
本当によくできた噺(はなし)で、先代・春風亭小柳枝が好んで演じていた。当席の詩栄が5年半ぶりに登場します。




うまや火事
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

年下の遊び人の男を亭主に持った髪結いのお崎が、世話になっている旦那の所に夫婦げんかの相談に行く。
このはなしの原話は1807(文化4)年、落語家・喜久亭寿暁のネタ帳にある「唐(もろこし)の火事」。 生粋(きっすい)の江戸落語で、明治の大名人といわれた三代目柳家小さんや、今は亡き桂文楽、古今亭志ん生 などが好んで口演している。
このはなしに登場するお崎さんが実に魅力的で、このお崎姐(ねえ)さんのゆれ動く心持ちを演じきるには、 ひたむきに生きる女性達に対するあたたかいまなざしと、骨格のしっかりした芸の力が演者に求められる。 大変難しい噺(はなし)である。
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不動坊
骨皮 舟楽(ほねかわ しゅらく)

大家さんに呼び出された吉公(きちこう)、三年前に死んだ講釈師・不動坊の後家(ごけ=未亡人)との縁談をすすめられる。
この後家さんがなかなかの器量よしで、吉公も以前から想いを寄せていたこともあり、とんとん拍子に話が進んだのだが...。
もともと上方(かみがた)種であった。このはなしを三代目小さんが東京へ持ち帰り、以来、小さん一門に受け継がれている。




八五郎出世
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

裏長屋に住む八五郎。妹のお鶴がお殿様のお目にとまり、お屋敷に奉公にあがる。やがて懐妊して男子出生、 お鶴の方様となる。
笑いとペーソスにあふれた一席で。志ん生、円生それぞれが十八番(おはこ)にしていた。1705(宝永2)年 「軽口あられ酒」の中の「馬に乗りつけぬ医者」などが原話と見られる。
こよい当席の青空亭は、「皇室に慶事があり、あたしはこのはなしで祝賀の意をあらわしたい」と抱負を語っている。
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王子の狐
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

一日遅れで初午(はつうま)の王子稲荷にお詣りしようという建具屋の半公、途中で狐が若い女に化けるのを見た。 よせばいいのに、逆に狐を化かしてやろうと思いたち、この狐を近くの扇屋という料理屋に連れ込むが...。
原話は、1712(正徳2)年「初心なきつね」に見られる。噺(はなし)の終盤に登場する子狐がなんとも愛くるしく、 当席の雲助は、この子狐を演じたいがために、こよい、このはなしを高座に掛ける、としている。
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第26回 富久寄席
平成18年5月21日(日)・27日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

寿限無
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

このはなしについて、林家正蔵(彦六)師匠はかつて、その芸談の中で、「これと、”金明竹””たらちね”は、 一つことをくり返すので、前座の口ならし用のはなしです。誰でもやらなくてはいけない一つの課目になっていたんです。 それでいて看板になっても、こういうはなしを捨てずにやるところがまた、はなし家のいいところでしょう。私も このはなしを時たまシャレ半分にやりますし、また、ホール落語でも、浅いところに出たときはやってみるんです。 すると、聞くほうも案外めずらしそうに聞いていますよ。これはつまり、今は前座のはなしを聞く機会が少なくなったことと、 前座も”寿限無”なんかきちんとやらなくなったからですかね...。」
と語っている。こよい豊年亭は、亡き正蔵師匠の心持ちで演じたいと抱負を語っている。



あくび指南
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

友達に付き合ってもらってあくびのけいこに来た若い衆が、師匠とくり広げる悲しい騒ぎ...。 この噺は、上方の「あくびのけいこ」が東京に移植されたもので、類話は1776(安永5)年の「あくびの寄合」。
何事もテンポの早さが求められる現代の、いわば対極にある、ゆったりとした時代の、「時の流れ」といったものを、 少しでもこよい感じ取って頂ければ、と当席の雲助は話している。
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崇徳院
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

大家(たいけ)の若旦那がすっかりやつれて寝込んでしまった。幼なじみでもある出入りの熊公が当人から ききだしたところによると、これが恋わずらい...。
安藤鶴夫(アンツル)は、かつて著書の中で「(桂三木助は)今晩、三越落語会で崇徳院を出す、などというと、 朝、箱から二つ、三つ、煙草入れを出しては選んだ。そんな時、その落語の持つ、そういう雰囲気にふさわしい 煙草入れを、腰に差して、高座に出た。そんなもの、むろん高座で使うわけはなく、三木助の袖(そで)の かげに隠れているのだけれど、しかし、三木助にとっては、そういう煙草入れを、さりげなく、ちょいと 腰に差しているということが、自分で、そっと、うれしくって、それが、その時の高座を冴(さ)えさせる助けになった...。」
と、書いている。いい文章だ。しっかりした、芸の力が求められる噺である。
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くしゃみ講釈
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

無愛想な講釈師がしゃくにさわるというので、常連(じょうれん)がコショウの粉を客席からあおぎ上げて 困らせてやろう、ということになった。昭和の大名人の一人、三代目三遊亭金馬も得意としていた噺(はなし)で、 この明るくにぎやかな演目を当席の徒然亭がはつらつと演ずるところが聞きどころである。




出来心
骨皮舟楽(ほねかわ しゅらく)<寝床の会>

泥棒の親分が、まぬけな子分を呼び「お前は見込みがないから今のうちに足を洗ったらどうだ」と云うと、子分は、 「これから心を入れかえて悪事にはげみますからどうかこのまま置いてください」と頼む。「それじゃ、空巣から しっかりやり直せ」と、空巣のやり方を詳しく教えて出してやるのだが...。
原話は、1808(文化5)年「江戸前噺鰻(はなしうなぎ)」の中の「ぬす人」。”花色木綿(はないろもめん)” の別名でも広く親しまれている一席である。
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死神
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

借金で首のまわらない男が死神に出会い、金もうけを教わる。
医者になって患者の寝ているところへ行き、足もとに死神がいたら呪文(じゅもん)をとなえれば死神は退散し、 病人はなおる。逆に、もし死神が枕もとにいたらば、それは寿命だからあきらめろと云え、といわれる。
いわれた通り医者の看板をかかげると、いつも死神が足もとにいるので名医との評判がたち、大もうけする...。
幕末~明治の大名人・三遊亭円朝の作で、現・柳家小三治は芸談の中でこのはなしについて 「円生師匠のは、すご味があって、照明を暗くしたり、いかにも芸術って感じでしたけど、ぼくは、たかが落語 だと思ってるし、そこをまた誇りにして、ふわっとあったかい噺に仕立ててます」と語っている
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第25回 富久寄席
平成17年11月6日(日)・12日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

ざるや
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

古今亭志ん生の長男・金原亭馬生が寄席で好んで演じた縁起担ぎの一席。時代設定は明治末期~大正期ごろと思われる。
調子のいい若い衆がざるの売り子となって、大家(たいけ)の旦那とくり広げるやりとりが実に楽しい。 馬生師匠を敬愛してやまない当席の雲助は、こよいのこのはなしをさらりと演じてみたいと語っている。



看板のピン(かんばんのぴん)
骨皮舟楽(ほねかわ しゅらく)<寝床の会>

若い者が集まって博打(ばくち)を開帳していると、かつてはその道でならした老親分が、「おめえたちとでは 赤子の手をひねるようなもんだから・・・」と云いながら壺皿を取りあげる・・・。
このはなしは生粋(きっすい)の東京落語で、大変短いために博打の噺(はなし)のマクラに使われることが多い。
昭和初~20年代に活躍した四代目・柳家小さんは博打うちあがりの橘ノ圓(たちばなのまどか・のちの桂三木助) に壺皿の振り方などを教わったが、高座ではそのとおりに演じなかったそうだ。曰(いわ)く、「本物そっくりに 演ったら、品が無くなっていけねェ」



お見立て(おみたて)
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

このはなしの原型は1808(文化5)年「手くだの裏」に見られる。地味ではあるが大変良くできた噺(はなし)で、 喜瀬川おいらんにほれて通いつめる田舎のお大尽(だいじん)と、妓楼の若い衆・喜助とをキッチリ演じ分けるには 相当な芸の力が求められる。
妓楼で、客が遊女を選ぶことを「見立て」というのだが、吉原に張見世(はりみせ)があったのは1915(大正4)年 までで、それ以降は写真になった。
こうした(客が)登楼するときの”見立て”という言葉が、このはなしの最後に「さかさ落ち」として切れ味よくストーン といくかどうか、このあたりがききどころとなっている。



こんにゃく問答(こんにゃくもんどう)
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

江戸をしくじった八五郎。上州(今の群馬県)安中の在でこんにゃく屋を営(いとな)む六兵衛の世話で、薬王寺という 寺のにわか和尚となったのはいいが・・・・。
三遊亭円生はかつて芸談の中で、「このはなしは最後がパァ~ッとはなやかになりまして、お客にも受けるんです。 こういうのはめったにないんですが、その点このはなしは名作だと思います」と語っている。
有名ではあるが、笑いのすくない大変難しい演目である。
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牛ほめ(うしほめ)
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

馬鹿息子ほど可愛いというが、佐兵衛の新築祝いの「家ほめ」のための文句を、息子の与太郎に父親が書いてやるのだが ・・・。
このはなしの成立は1833(天保4)年の初代林家正蔵による「牛の講釈」といわれている。はなしに出てくる 秋葉様(あきばさま)のお札は、火防(ひぶせ)の神様といわれる秋葉大権現のもの。遠州秋葉山が本山(ほんざん)で、 江戸では隅田川沿岸の多田薬師堂隣りと亀戸にあった。
与太郎ものを演じたら右に出るものがない当席の青空亭がおおらかに演じるところが、こよいのききどころとなっている。
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まごころサービスおじんタクシー
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

「新婚さんいらっしゃい」の司会で全国的な人気者・桂三枝の新作落語。彼(三枝)は、現在上方落語協会会長として 多忙な日々を送っているが、その代表的演目をこよい豊年亭は軽妙に演じきりたいとしており、このはなしを高座に かけるために3ヶ月前から私生活においても全て関西弁で通している熱の入れようである。




第24回 富久寄席
平成17年5月22日(日)・28日(土)
静岡市葵区西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

初天神(はつてんじん)
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

新しくあつらえた羽織が着たいので、亀戸(かめいど)の初天神に出かけようとしていた親父の熊公。 せがれの金坊に見つかっていやいや連れて行くことになる。
初天神は、新年初めの天満宮の祭日で1月25日。この日、東京の亀戸天神では、「うそかえ」の神事 が行われる。
原話は、1773(安政2)年の「聞上手(ききじょうず)」に見られる。こよいの雲助は、9年前の 初高座以来の2度目の口演となる。
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寿限無(じゅげむ)
喜取亭木楽(きどりてい きらく)

毎回、自分なりのテーマをもって富久寄席に臨む木楽は、誠実で朴とつなその人柄で皆に親しまれてい る。彼が選ぶ演目も”お見立て、お花・半七、幾代餅”を初めとする男女の心の機微(きび)をうがっ た噺(はなし)から”やかん、子ほめ、たらちね”などのおとしばなしに至るまで、いっこくなまでの 木楽の美学がある。喜取亭・・・・・いい屋号だ。



酢豆腐(すどうふ)
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

昭和の名人・故桂文楽師匠でさえ、このはなしを高座に掛けるのに相当の年数をかけたという大変難し い噺(はなし)。
主役の若旦那を軽薄すぎずに演じられるようになるには、年季の入った芸の力が求められる。
先日、筆者が道楽さんに「富久さんのお品書きに酢豆腐はないの?」と聞いたところ、帰ってきた答え が「モチリンでげす」。さらに、「よくこんなむずかしいはなしを高座にかけるね」に対しても、「モ チリンでげす」
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新聞記事(しんぶんきじ)
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

東京の寄席では、戦前からよく演じられてきた新作落語。当席の会長・豊年亭は今回、眼の中に入れて も痛くない弟分の雲助に「いいかい、今度はお前(まい)が前座をやるんだよ、はなはお客さまもあた たまってなくて仲々笑ってくれないもんだ。ここんとこで笑いを取れるようになって初めてお前(まい )、一人前といえるんだよ、いいかい」。これを聞いた雲助も誠を胸に秘めて「兄(あに)さん判りま した。精一杯つとめさせて頂きます」ときっぱり。ああ、あるわしきこの兄弟愛。



金明竹(きんめいちく)
骨皮舟楽(ほねかわ しゅらく)<寝床の会>

今回が2度目のゲスト出演の骨皮は、富久(道楽)さんのお弟子さん。”わて、中橋(なかばし)の加 賀屋佐吉方から参じました”で始まる上方弁のはんなりした言い立てで有名なこのはなしは、骨皮の声 柄(こえがら)に合っているようだ。このはなしの原話は、全くの偶然であるが、江戸期の能狂言「骨 皮」と伝えられている。
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長屋の花見(ながやのはなみ)
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

長屋の連中が大家(おおや)の肝いりで花見に行くことになった。雨露(あめつゆ)しのぐ店賃(たな ちん)を1年以上ためても平気な連中を連れて行くとあっては、いかに「親も同様」と云われる大家と て、そう豪勢に散財(さんざい)とはいきかねる・・・・。
このはなしは、上方(かみがた)の「貧乏花見」を先代(四代目)柳家小さんが東京に定着させたもの。
”大阪の貧乏花見は、朝の雨がやんで仕事に出そこなった店子連中が、いわば自発的に花見に出かける。 大家(おおや)が顔を出さないところがいかにも大阪的”とは、永六輔氏の評。




第23回 富久寄席
平成16年11月14日(日)・20日(土)
静岡市西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

桃太郎(ももたろう)
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

昭和13年、次男の強次(きょうじ=のちの志ん朝)が生まれたうれしさで、父志ん生はしばらくの間 寄席の高座で「桃太郎」ばかり演っていたというのは、あまりにも有名なはなし。子供が登場する落語 は、「初天神」「真田小僧」そしてこの「桃太郎」など沢山あるが、いずれもあどけなさの中にもキラ リと光る憎たらしさがあり、親父がほんろうされるところに笑いが起こる。当席の新作派・豊年亭万作 が、こよい久しぶりに古典落語を楽しそうに演じます。



たらちね
喜取亭木楽(きどりてい きらく)

独り者の八五郎のところへ縁談が舞い込んだ。器量は十人並以上、夏冬のものもそろえているが、言葉 がていねいすぎるのが欠点だという。「そん位の(くらい)のこたぁ・・・」てんで八公は、喜んで祝 言(しゅうげん)をあげるが・・・。「みずからことの姓名は、父は元京都の産にして姓は安藤、名は 慶三、あざ名は五光(ごこう)、母は千代女と申せしが、ある夜丹頂の鶴を夢見てはらめるが故(ゆえ) に・・・」の云いたてで日本国民によく知られた噺(はなし)。年配のご婦人衆のファンを多く持つ当 席の木取亭がこよいこのはなしをさくっと演じるところがききどころ。
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品川心中(しながわしんじゅう)
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

吉原以外の遊郭では、筆頭遊女のことを「板頭(いたがしら)」といった。このはなしは品川で板頭を はっていた、おそめ姐(ねえ)さんが主人公。寄る年なみで紋日(もんび)の移り替えの金にもこと欠 くしまつ。いっそ誰かと心中して浮き名を立てようかしらと考えはじめた。年増女郎ではあるが、この はなしのおそめさんの愛嬌ときっぷの良さは実に魅力的で、骨格のしっかりした芸の力がないととても 演じきれない。林家正蔵(彦六)師匠はかつてその芸談の中で「戦時中はこのはなしも禁演の指定を受 けましてね。それに心中はいけないてんで”品川情話”なんて題にしたこともありました」と語ってい る。
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宿屋の富(やどやのとみ)
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

ふところに金のない男が、日本橋馬喰町(ばくろちょう)のきたない宿屋に泊まり、口からでまかせに 大きなことを云い、宿の主人(あるじ)に自分は大そうな金持ちの旦那であると思わせたのはいいが、 逆に富の札(とみのふだ)を一枚買わされて、なけなしの一分(いちぶ=一両の1/4)をとられてし まう。
年の瀬にふさわしい味わいのあるはなしで、椙ノ森(すぎのもり)神社の境内(けいだい)の富突きの にぎわいをこよい雲助が明るく演じます。元々、上方(かみがた)ばなしだったのを、明治期の名人・ 三代目小さんが東京に移植したもの。通常、千両富は「突き止め」に最高賞金として当たるようにして あるものだが、ここでは噺の構成上、「一番富に千両」としてある。



目黒のさんま(めぐろのさんま)
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

「若旦那もの」「与太郎もの」「お侍(さむらい)もの」のはなしを演らせたら、当席ナンバーワンの 青空亭が演ずるあまりにも有名なはなし。以下は、明治の文豪・夏目漱石が学習院で学生達を前に講演 したものの抜粋。曰く・・・
「さんまは目黒に限るね、というのがはなしのオチになっているのですが、私からみると、この学習院 という立派な学校で、ふだん立派な先生方に接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を春か ら秋の末まで待ってお聞きになろうというのは、丁度、大方の美味に飽いた結果、目黒の秋刀魚を一寸 (ちょっと)味わってみたくなったのではないかと思われるのです」
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第22回 富久寄席
平成16年6月6日(日)・12日(土)
静岡市西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

バールの様なもの
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

立川志の輔さんの新作落語。題材を現代に取り、調理方法は古典落語の手法を用い、大変わかり やすく面白い作品に仕上がっている。「の、様なもの」とは、「似て非なるもの」ということで あろう、というのが、この噺(はなし)の要締。本当に良くできている新作落語。 有名な古典落語「居酒屋」の中の「できますものは、○○○、△△△、鮟鱇(あんこう)の、よ うなものオ~」という一節を思い出します。また、森田芳光監督の映画「の、ようなもの」では 秋吉久美子、春風亭柳朝師匠の演技が光る。



後生鰻(ごしょううなぎ)
喜取亭木楽(きどりてい きらく)

日本古来の寺社には、それぞれシンボルの生き物がいる。有名なところでは、稲荷神社の「きつね」 、熊野神社の「からす」、そしてこのはなしの虚空蔵(こくぞう)菩薩様には「うなぎ」等々・・・・。 これらのシンボルのことを昔は「お使い姫」と云ったりもした。この噺(はなし)は、1861 (万延2)年の「風流昔噺」に初出が見られ、明治期になってから上方から東京へ移植されたもの。 なお、古今亭志ん生師匠は、虚空蔵様を信心していたため、生涯うなぎを断っていたことは有名な はなし。



蜘蛛駕籠(くもかご)
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

ひとくちに「雲助」というと、我々はすぐユスリたかり専門の無頼(ぶらい)の徒を思い浮かべるが、 語源を調べると本来はそれほど悪い意味は含まれていない。このはなしは、1727(享保12)年 の「軽口初売買い」の中の「乗手の頓作」が原型。 登場人物が多く、状況が次々に変化するため、芸に力量がないととても演じることができない 噺(はなし)である。



三方一両損(さんぽういちりょうぞん)
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

歌手のフランク永井がこよなく愛した八代目三笑亭可楽の十八番(おはこ)。このはなしは、講釈種 (こうしゃくだね)の「大岡政談」を元に落語化されたもので、1807(文化4)年の喜久亭寿暁の ネタ帖「こっけい集」に「ゑ(え)ちぜん」とでている。三方一両損の裁(さば)きの源流は、近世 徳川の初期に京都所司代をつとめた板倉勝重・重宗親子の施政断訟の大要「板倉政要」の中の「聖人 公事之捌」(くじのさばき)であるといわれている。
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錦の袈裟(にしきのけさ)
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

お坊さんとかけて、新聞と解(と)く、そのこころは・・・・今朝(袈裟)来て(着て)、今日(経)読む。 秀逸な、なぞかけの一つだが、このはなしとは直接関係はない。
この落語は、1777(安永6)年の「順会咄(ばなし)献立」がその原話と思われる。町内の若い連中 が吉原で繰り広げる珍騒動ものの一つで、主役はご存じ与太郎さん。彼の登場するはなしは沢山あるが、 ここでの与太郎が(彼にとって)一番いい思いをしているのではないだろうか。与太郎を演(や)らせたら 当席でNO.1の青空亭が、楽しそうにはなしを運んでいきます。




第21回 富久寄席
平成15年11月9日(日)・15日(土)
静岡市西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

子ほめ(こほめ)
喜取亭木楽(きどりてい きらく)

この噺(はなし)は、いつ聞いても面白いはなしで、その昔小学校の国語の教科書にも出ていたことがある。 理屈抜きで笑える、楽しい噺です。
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三枚起請(さんまいきしょう)
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

故・志ん朝師匠の十八番(おはこ)のひとつ。したたかな遊女とウブな客達が織りなす珍騒動。 同じ場面に登場人物が4人で一気にたたみかけるクライマックスが聞きどころ。 骨格のしっかりした芸の力がないと、とても演じきれない、難しい噺である。



買い物ブギ
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

戦後、笠置シズ子が唄って大ヒットした歌謡曲に題材をとった新作落語。立川談志師匠のお弟子さん志の輔さんの 作品。今宵も面白いことうけあいです。



狂歌家主(きょうかいえぬし)
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

今年は「江戸開府四百年」という記念の年。「落語」という世界でも類を見ない洗練された芸能が、江戸中期から本格的に はぐくまれ、こんにちに至っていることは日本人の誇りでもあります。 今宵は、この噺をさらりと聞いてみてください。




第20回 富久寄席
平成15年6月8日(日)・14日(土)
静岡市西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

魚根問(さかなねどい)
喜取亭木楽(きどりてい きらく)

「根問い」というのは、言葉や物事のいわれ、ルーツをたずねること。落語の演目には、 いわゆるこうした「根問いもの」も数多くあり、”やかん”、”浮世根問い”などが有名である。 当席の木楽は、その誠実?な人柄でこうした噺(はなし)を得意としている。



じゅげたら
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

「じゅげむ」「たらちね」・・・。あまりにも有名な2つの噺(はなし)を一緒くたにしたら、 いったいどういうことになるのか・・・。当席きっての新作落語家・豊年亭万作が、得意のフラ (もって生まれたとぼけた味わい)を活かし、皆様に喜んで頂きます。



お化け長屋(おばけながや)
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

寄席などで演じられる落語は、通常、四季それぞれに合わせ演目を選ぶことを良しとされている。 その時々の季節感でもって聴き手の共感が得られ、これが大衆芸能の一つといわれる所以(ゆえん) である。これは、典型的な夏の噺、”寿司も握れる噺家”道楽は、江戸の長屋の様子を笑いとともに 存分に描いて見せます。
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短命(たんめい)
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

「積善(せきぜん)の家に与慶(よけい)あり」・・・。人間が良い行いを積むと、その家には 良きことが沢山おこる。昔は寄席などでも笑いの中にこうした人の道、道徳を伝え、庶民は知らず知らずのうちに 覚えたものである。ところが、そうならない場合もある・・・。という噺(はなし)。
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湯屋番(ゆやばん)
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

こよいの主任(トリ)は、ご存じ青空亭の「湯屋番」です。こうした若旦那ものを演(や)らせると、 「彼の右に出る者はいない」という位、当人に合った噺(はなし)。
”20回記念興行”のトリに ふさわしい、笑いたっぷりの名作をお楽しみ下さい。
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第19回 富久寄席
平成14年11月10日(日)・16日(土)
静岡市西草深町「鮨 富久」 にて
東海道雲助 記

厄払い(やくはらい)
徒然亭ゆ之助(つれづれてい ゆのすけ)

文化4(1807)年の喜久亭寿暁のネタ帳に「恵ほう」と出ている。季節的なはなしで、 2月の節分の前後しか寄席の高座に掛からない。
これを好んで高座に掛けていた八代目・桂文楽(かつらぶんらく)は、その生前「これ は前座噺なんですが、こういうのは易しいようでいて、実は大変難しいものなんで す」と語っている。
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みどりの窓口(まどぐち)
豊年亭万作(ほうねんてい まんさく)

当代人気者の一人・立川志の輔(たてかわしのすけ)の新作落語。日本国有鉄道か らJRに替わっても、みどりの窓口は永遠に不滅です。こよい豊年亭万作は、いつも 以上に、お客様を楽しませてくれます。この人気者!!



火焔太鼓(かえんだいこ)
夢家 道楽(ゆめや どうらく)

元々は、江戸時代から伝わる軽い噺だったが、明治末期に初代三遊亭遊三(さんゆうてい ゆうざ)が白梅亭という寄席で演っていたのを聞き覚えていた古今亭志ん生が、 後年改良を加えて十八番(おはこ)にした。こよい道楽は当席で2度目の所演であるが、 人の好い道具屋夫婦はよっぽどの芸の力がないととても演じきれるものではない。
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禁酒番屋(きんしゅばんや)
青空亭照照(あおぞらてい しょうしょう)

元々が上方(かみがた)落語で、明治の文豪・夏目漱石(なつめそうせき)が、 その名著「三四郎」の中で名人と評した三代目・柳家小さんが東京に移植した噺。 先般他界した五代目小さんは、その芸談の中で「あるお客様から、身分は低くても さむらいなんだから、体はきちんと決まってなくちゃいけないよ、と云われましてね。 なるほどと思って目と言葉で酔いを表すように自分なりに直したんです。 やはり、職人の酔っぱらいとは違うんだと思いますよ。」と語っている。
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ざるや
東海道雲助(とうかいどう くもすけ)

昭和の名人・古今亭志ん生(ここんていしんしょう)の長男・金原亭馬生(きんげんていばしょう)が、 寄席で好んで演じていた縁起かつぎの一席。 軽い、江戸前のさくっとした噺で、こよいの雲助は当席で二回目の所演。 5年ほど前に雲助は、静岡県岡部町に住む校長先生のところへ新築祝いに出かけこの噺を演じている。